扉
うば桜の深なさけ
pp.9
発行日 1957年10月15日
Published Date 1957/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910437
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先日訪れた県の衞生部長さんの仰言ることに,「私は元来フエミニストで,部の仕事の中でも,特にナースの問題については,理解者の1人と思つているし,努めてナースの集りには出席して交わりをもち,話し合いの場をもつようにしているのだが,どうも,私とナースの間には溝が出来ているらしい。」という述懐をなさつた。更に話をすゝめているうちに「近頃私は,自分の場合は,どうやら“うば桜の深情け”なのだろうと気がついた」とも仰言つた。“うば桜の深情け”とは何とも意味の深い表現でありますが,実態をつきとめてみれば次のようなことがわかつて来ました。
先づ,部長さんは,確かにナースのことを心にかけ,大事にすることを努め,理解者だと確心しておられるが,この理解の点に問題があること。次に,非常に能弁家であつて,熱情もある。そこで,ナースの集りなどに出席されると,あれもこれも話したい,教えたいということになつて勢い言葉が多くなる。1つの質問に対して3つも4つもの回答が与えられ,あたかもその場の空気は部長にさらわれた形となつてしまうものらしい。ナースはそこで黙してしまうということのようでありました。これで“深情け”のゆえんもわかつたのですが,私はこれと同じような実態が部長とナースの関係だけでなく,ナースとナースの間にもあるのではないかと思いをめぐらせてみました。例えば,婦長さんの話し合いの場合,若い看護婦さん遠の発言を無意識のうちにおさえるような言動がとられていないでしようか?
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