扉
平和はなぜ来ない
pp.5
発行日 1956年9月15日
Published Date 1956/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910172
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原水爆禁止の小さな署名運動が,国中にひろがる全国運動となり,悲願は国際連合に訴えられ,世界的運動に展開し,原水爆禁止世界大会がひらかれるまでになつた。大きな力になつたこの運動の発端は,いうまでもなく「平和をねがう切なる心」である。重要な問題だから,一回の大会で花火線香のように消えるのでなく,たえずよせ返す波のようにくりかえし,くりかえし,忘れ去り勝ちな人々の胸に訴えてほしい。これはこれとして非常に大事なことではあるのだが,近頃私は何だか,一般の人が,原水爆さえ禁止すれば平和になると思つているようにみえるのはこちらの見方が浅いためであろうか。それは,戦争とのみ結びつけるからそうなるのではないだろうか?戦争と平和は対句のように使われるけれど,具体的な戦争はなくても,平和が存在しないことは私共の周囲に余りにもありすぎる。真の平和は,何も戦争にむすびつくものではないのではないか。
一家の中に,一つの学校に,職場に,そして一つの或る限られた地域社会(コムミユーニテイー)に,様様の形で波風がたち,平穏平和のことばかりではない。波風がたちさわぐのは,その中に誰か独り自分のことだけを深く,強く考えて,まわりの関係者の意向を無視する時に最も多くおこるようだ。
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