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看護学校を教えて
永井 一夫
1
1北大
pp.25-27
発行日 1956年3月15日
Published Date 1956/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910077
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凡そ学校教師として授業を担当する時学生生徒等の受業態度の悪るい事程不愉快な事はない。筆者は昭和25年停年退職する迄25年間も北大で学生(当時は男ばかり)や看護婦生徒(看護法講習科と名ずけたものに入学した女生徒ばかり)の授業を担当して唯の一度もムカムカ腹の立つ様ないやな思いをした事がなかつた。北大退職後一つの女子短期大学で医学や育児学を講義する一方北大では戦後新制度で発足した看護学校で独逸語の授業を担当する講師として今日に及んでいる。
処が女子短大で講義して実に思いもかけなかった事は受業態度のよくない生徒の多い事である。具体的にいえば生徒間でブッブツ時にはワイワイと形容してよい程話をするのである。教壇に立ってジッと見渡していても中々話声が静まらず5分以上も講義の始められない事すらある。大雷を落してどなりつけた事もあり時間の途中でサッと引上げた事もある。そんな処置を取ってもきき目は瞬間的というか糠に釘というか忽ち元の木阿彌である。或クラスに対しては受業中喧騒にて授業し難い時は何時授業を中止せられてもよいという事を全員に署名させた事もある。これ程にしても静寂水を打つた様な受業態度は決して長続きはしないのである。
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