発行日 1954年1月15日
Published Date 1954/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909485
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寒空にジフテリアで呼吸もつまりそうな子供を背負つて病院の門をたゝく滿洲の農民は,其の手術料や入院料を支拂うために,病気の子供をよそに親族会議を開き,支拂い不可能ときまると子供を背負つて別の病院に訪れるという金額がきまると子供をおいて帰つていく。若し又入院加療中,予定よりも長びいて費用がかさめば,五反歩の田を三反歩売らなくてはならないと訴え,又は馬を売らなくてはならないと哀願し,費用を軽減されるように熱心にたのむという。それでも子供が治れば田畑をうつたことも,馬を失つたことも忘れて小おどりしてよろこび,先生の肩をたゝいて「大先生だ」「名医だ」「神樣だ」と眞からよろこび,感謝して大勢で子供をまもつて帰つていくという話をきいた。が同時に次のような話もきいた。日本の東北の農村の貧困さは,他のどこの地方にもみられないあわれさがあるという。ジフテリアの子供を一人手術するといつても,家には他に3人も4人も子供があり,母親は身重,父親一人が働き手で,現金收入は一銭もない。千円の手術料を工面するためには田畑をうり,唯一の財産である馬も手放なさなくてはならないのは滿洲の農民と同じである。日本の場合だと,其の時子供はそのまゝ病院においてくる。幸にして子供が治れば病院の支拂いは暫くまつてほしいとたのんで一日のばしにのばしていく。若し入院中の取扱いが充分でないと支拂う意志をもたない。
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