わがteen age・9
東京電氣局のころ
中館 カツ
1
1交通局病院
pp.50-51
発行日 1951年10月15日
Published Date 1951/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906949
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私は父に早く死別れたため,高等小學校を卒業したら,職業婦人になろうと考えていました。そして都里の秋田縣十和田湖の近くの醫院に入りました。昔のしかも田舍のことですからそれは不便で,お産や急病の時などでも家族が馬を持つて迎えに來るのですが,私達が家につくまで6時間位もかゝりますから,その間患者は苦しみ乍ら,待つているわけです。今から考えてみると田舍の人は都會の人に比べてやつぱり丈夫なのでしようとも思います。
當時は醫院に2年勤めて,醫師の證明があれば準看護婦の資格が得られました。先生は田舍の醫師とはいえ,とても進歩的な先生で私達看護婦を集めては夜など時々講義をして下さつたりしました。けれども私達は勉強をするにはどうしても東京でなくてはと,看護婦募集の新聞廣告をみて東京の看護婦生活にあこがれたものでした。
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