発行日 1951年3月15日
Published Date 1951/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906819
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1 看護教育へ
看護婦には看護婦としての多くの業務があるが,如何なる場合にも奉仕精神を忘れてはいけないという教育を受けている筈である。奉仕精神は今も昔も變りのない事であるが,只嘗つては博愛の精神という言葉がつかわれていただけの違いである。數々の秀れた技術も勿論大切であつて缺くべからざるものであるが,それにしても美しい愛の精神が缺けていたら看護婦はたゞの職人に堕する恐れがある。誰にもよくわかつている事であるが,實際は果してどうか。之れが過去から現在へかけての惱みであつたが,此の問題は將來へ持ち越されぬようにと心配にならぬでもない。庶くは杞憂に終つてほしいと私は念じている。
新しい看護婦學校ではめつたに此の心配はあるまいが,短期間の再教育によつて指導者や教員を養成する場合には特に心してほしいと思う。そして理解のある熱の人を選んで教育したいものだ。「…‥そら,小野田教諭がいつも言つてたでせう—教育者には教育の精神を以て教える人と教育の形式で教える人と2種類ある。後者には何人でも成れぬことはないが,前者は100人に1人,1000人に1人しか無いもので,學んで出來ることではない。謂はゞ生來の教育者である一つて。」と啄木は自叙傳「足跡」で女教師並木孝子に云わせている。此の頃は看護事業の過減期であり,改革の時であり,又驅け足文化の時代でもある。
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