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主張 ナースと宗教
pp.5
発行日 1950年12月15日
Published Date 1950/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906757
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泣いて暮しても,笑つて過しても,50年は50年,人の生命に許された生涯は,其の人の生れた時既にきめられているといわれています。どんなふうに過しても,遂には終りきらなくてはならない人生なのですが,たゞ面白おかしく過す何千萬の人々の中に意義のある人生,價値のある生涯をおくる人があるとすれば,其の人のその生活の湧き出づる源はその人のもつ宗教でありましよう。而も,そうなるには,一應完成に近ずいた成人に求めることは無理で,子供の時代から宗教々育を施すことの必要性がわかるのです。アメリカでは,全兒童の60%までが日曜學校の生徒であるといわれますが,アメリカ人の長所になつている他人のために親切である,他人につくす奉仕の精神をうみ出した原因ではないかと思います。
人のための奉仕,つかえまつる精神,何れも自分をなくした美しい隣人愛の精神ですが,看護する人に求められる基本的な素容も又全く同じものであります。病める者,傷つける者,悲しめる者凡ての不幸と思われる状態にある弱い病人を,少しでもその苦しみを輕くし,悲しみをやわらげることをつとめる看護の精神は,自分を忘れてたゞ病人のためのみを思うやさしい思いやりの氣持,温いなぐさめ,心の至れるかしづき等,何れも宗教的な博愛の考え方であります。
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