発行日 1950年7月15日
Published Date 1950/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906674
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數年間大學の神經科で精神病患者に接し,又特にそうした患者の看護を任務とする看護婦さんの態度をみでいるとある種の感想が湧いてくる。然しその前に私達學生時代を省みて恥しいと思うのは臨牀講議などで誇大妄想患者や,躁病の患者などが,身振り手振り可笑しく話しかけると,私達は何の惡意はなくとも,又それが患者の心を形の上では傷つけることはなかつたとしてもその場限りのオカシサからどつと大笑いしたものである。難解な精神科の講議に比較的多數の學生が出席するのも,一つはこうした患者自身が持つている見掛けだけの喜劇的要素に對して,淺薄な意味のない好奇心が手傳つていたことも一概に否定し得なかつた面が今にして思返されるからである。こうした私達の心構えの裏には寡くとも自分達にあの狂人達とは明瞭な一線によつて區別されているのであり,自分達が狂人でない以上いわば一段高い處に立つて意識的ではないにしても明かに優越感を持ち,狂人達を眼下に見下しているといつた氣持がないとはいえなかつたことが自覺されるからである。
然し神經科に入局して多數の患者に直接に接してみると,狂人といつた庭でどこか正常者と異るのか,相違するとすれば,その基準を何處に求むべきだろうかといつた疑問が自然に湧いてくる。
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