発行日 1948年12月15日
Published Date 1948/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906409
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昭和20年8月6日午前8時15分頃,廣島市に原子爆彈が一發投下されて,死傷20萬も發生し,市は殆ど壞滅しました。續いて同月9日には長崎市にも投下されて,これによつても亦甚大な死傷者と被害とを受けたことは,その場に直接居つて體驗した人でなくても,原子爆彈の恐しいことは深く感せられます。又全世界もこの恐しい武器が人類に與へる災害の大きく且つ悲慘なものであることを知つて居ります。さらにこの原子爆彈を米國がドイツと競爭して速に成功するのに,非常な功績があつたと云はれてるアインスタイン博士—この方は皆さんも御承知の樣に物理學で相對性原理の學説を考へ出されたニュートン以來の大物理學者です。そして日本にも講演に來られた方です。元來はドイツ人ですが,今は米國に定住して居られます。—はこの原子爆彈の威力の大きいのをよく知つて居られるので,その人類に與へる不幸ばかりでなくこれを使つて互に鬪へば,地球上の人類は遂に,破滅することにさへなることを考へられて,今後地球上の各國が互に戰爭をしないで平和にくらす樣に,又こんな武器を用ひないで濟む樣に世界政府と云ふものを各國が協力して建てようと云ふ運動を起して居られます。そして,多くの學者や知識ある人々,宗教家なども贊成して熱心に努力して居ります。又國際連合の原子力管理委員會でも原子爆彈は使用しないで,他の有益な目的に使ふ樣に盡力して居るのです。
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