発行日 1948年5月15日
Published Date 1948/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906324
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卒業式を數日後に控えた或る夜のこと,襖を隔てた隣室で,父と伯父徳太郎とが,何かしら,しんみりと話しているのでございました。寢つこうといたしましても,何となく不安でいつになく眠ることが出來ません。その内聞くともなく耳に入つて來たものは,2人のはじく,そろばんの音に混つた兩人の,缺損,收入,不覺,貸金,借金,等と云つたかすかな聲でありました。なつゑは,さてはお家に一大事が起つたなといふことをすぐに感知したのでありましたが,その夜はそれ以上を知り得ずいつもの通りたのしい夢路をたどつたのでございました。
愈々卒業式の日になりました。木綿の黒の長袖紋付即ち,直徑一寸もあらうかと思はれる位大きな家紋のかたばめの三つ紋に裾と袖に,お目出度い松に鶴を染めぬいた丁度この頃七,五,三詣での男の子が着て居る樣な黒紋付に,えび茶の袴を着けたなつゑは尋常小學女子卒業生一同の代表をして,校長先生から卒業證書を受け,引き續いて,優等賞と皆勤賞とを授與され,教育の有難さと,努力の貴さにほんとにうれしい思ひ出多い1日を過したのでございましたが此の日でさへ他の9名の村出身の同級生とは違つて、卒業後の方針については,どうも確答することが出來ませんでした。それと申しますのは,古川の同級生10名の内8名は尋常小學だけでおくことに定めました。
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