特集 "施設における母子看護調査"を読む
振り返れば,わが半生に悔いもなく—開業助産婦の立場から
塩崎 緑
pp.728-731
発行日 1982年9月25日
Published Date 1982/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206081
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最も神秘且つ神聖であるべきはずの,新しい生命の誕生。それは神より授かるものとして,何の抵抗もなくひれ伏していただいたのは,昔むかしのことであり,1955年,サンガー婦人の来日により産児制限による受胎調節の勉強が始まり,必要以上のベビーは盛んに人工中絶を行ない,少し次元が高くなって,計画出産を考えるようになった。最近では,男と女は産み分けられる,試験管ベビーの誕生も可能となった。こうしておよそ神秘という名のベールは1枚1枚剥ぎ取られていって,庶民の夢とロマンは徐々に喪失の憂き目を見つつある今日,幸か不幸か生きのこり開業助産院として,分娩室では力強い"呱呱の声"を聞く,無垢のベビーとの対面がある。
大阪市淀川区東三国4丁目15番地12号という現住所の助産院は,大阪も北部の淀川流域に位置していて,吹田市と隣り合わせの土地柄であり,20年前までは一面の蓮田であって1970年,万博による地下鉄の完成を見た。新大阪駅を指呼の間に見て丼池繊維街の移転などによって,みるみるうちに建物ばかりのニュータウンが出来上がってしまった。ベッド数9床,従業員7名でもって助産院を守りつづけてきた。
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