発行日 1947年10月15日
Published Date 1947/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906248
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はせがわ(長谷川)という茗字だった。色しろく髮はとうもろこしのそれのように柔らかく赤味がかつて,鼻はたいらに低くその中央にうすいやや赤味がかつたほくろがあるかなしにあつた。16歳,高等小學校を卒業したばかりの少女だつた。私より一級下だつた。その生まれ故郷の鑛山の事務所に私はタイピスト(給仕上りの)として働いていた。かの女は先輩である私のところえ高等2年卒業まもなくおとすれて,じぶんはどうしても看護婦になると決意のほどをもらした。17歳の少女タイピストも同意を示したのであつたらしい。かの女は鑛山經營の病院の藥局であこがれの白衣をまとうて働きはじめた。私はそのころ鑛山長や主任(課長の別名)たちを一途に憎むべきブルジヨアジーときめて大いににくみ鑛夫たちプロレタリアの解放をねがつていた。某仕上工の妹と同級だつた私はその妹を通じて兄の仕上工を知りそのの仕上工が鑛夫長屋の屋根うら(彼自身が鑛山當局に祕密でつくつた)にかくしていたいわゆる赤い本を,かけ梯子でその屋根うらえのぼつてかいま見る機會をあたえられたことから,すでにいわゆるアカくなりつつあつた。さて看護婦見習として藥局に働くことになつたかの女は晝休み時になると事務所の少女タイピストをかかさずおとずれて,そつとささやくのであつた。病院はおもしろくない。
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