発行日 1952年7月15日
Published Date 1952/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907097
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不見轉訪問というものはなかなか厄介なものである。場所と名稱を漫然と頭に疊み込んで訪ねて行くのであるから,先入觀というものが何にもない。訪問先に對する漠然とした空想がはたらくだけで,その空想が果して何のへんまで適中性を帶びているものか何うか判斷の尺度がないのであるから恐ろしく不安であつた。私は實をいうと,東京臨床看護婦協會という,いかにも仰々しい大袈裟な名稱に壓倒されて飛んでもない錯覺を起していたのであるから,空想なんていうものは凡そ馬鹿々々しいものである。神田淡路町1の1番地という所在地だけはハツキリと頭に入れていたからそのあたりを一生懸命になつてさがし歩いてみたけれど,何うもそんな看板のかかつた事務所のような建物が見當らない。八百屋があつたり煙草屋があつたり,煤けた旅館が並んでいたり,何だか曖昧な感じのする薄汚ない露路の一角なのであつた。仕方がないから,通り掛つた中年のおかみさんに訊いてみると,至つて簡單に教えてくれた。行つてみると,玄關に煤けた硝子戸の篏つている2階建ての下田屋なので,事務所という大袈裟な觀念があつたものだから,まるつ切り見當が違つていた。屋根の横のところに協立看護婦家政婦紹介所と書いた大きな看板がぶら下つていたけれど,東京臨床看護婦協會というほうのは,標札にして玄關の横に小さく掲示されているだけだつた。
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