グラビア この時この1葉
乳児死亡率を激減させた訪問看護活動
坂本 玄子
1
,
山根 信子
1
1看護史研究会
pp.608-609
発行日 1999年7月1日
Published Date 1999/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661905871
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「出生1000人対188.6人死亡」「出生1000人対3.8人死亡」.前者は1918(大正7)年のわが国の乳児死七率で過去最悪の数字,後旨は1996(平成8)年の数字で,過去最良にして世界でもっとも低い日本の乳児死亡率である.
第一次大戦終結の1918(大正7)年,富山県の主婦たちは3倍以上の米価値上がりをきっかけに暴動を起こし,それはたちまち全国に広がった.世にいう米騒動である.大戦後の日本を襲った経済不況のなかで,多くの労働者,農民の生活は逼迫した.妊産婦の健康状態は悪化し,乳児死亡率の上昇は待ったなしの状況となった.
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