発言あり
世界最低の乳児死亡率
pp.309-311
発行日 1984年5月15日
Published Date 1984/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206857
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大きな推進力となった保健所保健婦の活動
わが国の乳児死亡率が世界最低の値を示したことは,まことに喜ばしいことである.
この世界最低の乳児死亡率は母子衛生に携わった,戦前からの多くの先人の努力の積み重ねの上に達成されたものと思う.母子衛生に対する戦前の民間団体の活動が基盤となり,昭和12年に母子保護法が早くも施行された.終戦後には今日の母子衛生行政の基礎が急速に組織化されていった.すなわち,昭和22年に厚生省に児童局が設置され,母子衛生課がおかれた.昭和23年に児童福祉法が施行され,これに基づき,保健所における妊産婦,乳幼児の保健指導,身体障害児の療育指導と育成医療などの体系が整備され,保健所を中心とする母子衛生の事業が進められた.昭和30年代には未熟児対策が行政課題となり,未熟児医療を担当する医療機関の整備が進められ,昭和33年に未熟児養育医療給付と保健指導の制度が発足した.また,母子健康センター設置の制度も発足した,このほか,新生児訪問指導,3歳児健康診査,妊娠中毒症医療援助と保健指導,母子栄養強化対策等の予算化がなされた.昭和40年には母子保健法が制定された.この法律により,母子保健の理念が明らかにされ,母子保健サービスの体系が整備された.また,3歳児検診の法定化により,心身障害の早期発見のための体系も強化された.その後は,育成医療の拡大,妊産婦に対する医療援護,小児がん等に対する医療費給付など医療対策が進められている.
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