特別記事
えらぶ・えらばれる時代の医療と看護—メディカルコーディネーターとしての活動
山中 鈴美
1
1新東京病院
pp.941-945
発行日 1995年10月1日
Published Date 1995/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661904910
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活動に至る経緯
私が,ずっと憧れていた看護職に就いたのは1980年の4月からで,看護学校を卒業し,大学病院に残ってのスタートでした.外科の病棟に配属され,術後と終末期の患者さんの看護を6年経験しました.術後日増しに回復する様子や,清拭のとき,話しかける身近な話題に患者さんの表情がかわることに,看護の歓びを感じた時期でした.
しかし,5年目を過ぎると,ふとこれでよいのかと自問するようになり,福祉,保健婦学校への進路変更を考えていました.また,この時期は私自身の年まわりも悪かったのか,円形脱毛,慢性じん麻疹にも悩まされつらい思いをしました.某大学保健学科の先生から「その歳になってなにかをしようなんて,生い立ちの暗いやつのすることだ」と言われ,自分のなかの焦りを指摘されたようで「看護」に対してひと呼吸おくことにしました.1986年,総合商社の診療所へと看護の場をかえ,社員の健診業務を5年あまり続けました.この間は社会経験を得るよい機会となり,看護婦独特の社会性の欠如していた部分を補うことができたように思います.接遇面では,この頃の経験が生かされて,ある意味では,やっと人らしくなったのかもしれません.臨床にいたとき,なにかしなければと,いつもどこかに力がはいっていた頃とは違い,年齢も30歳となり,少し太っ腹の普通のおばさんの気分でした.
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