特集 いま,癒し手としての看護について
癒し手としての看護職
平北 雪子
1
1東京大学医学部保健社会学教室
pp.830-833
発行日 1995年9月1日
Published Date 1995/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661904886
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「自己に目覚めているヒーラーは,単に病気を治すだけでなく『人を癒す』ことに関心を払う.純粋の『癒し』とはヒーラーに助けられながら,壊れ傷ついた自己へと至るひとつの旅であり,その目的は病に伴うあらゆる悲劇をのりこえて深遠なる人間性に出会うことである」T.Kaptchuk*
長い間,私は自分がなぜ看護婦になったのかよくわからないでいた.10代後半にたとえば医師を目ざすこともできたのに,自分がなりたいのは医師という仕事ではない,という強い思いがあった.良心的な医師でさえ,その人の体の本当の問題ではなく,症状さえとりあえず治ればよし,とする西洋近代医学のやり方・考え方にはすでに10代のはじめから患者として不満だった.またスキーでむち打ち症になれば整形外科で湿布と牽引をしてもらうよりもカイロプラクティックや整骨院に行った方がすっきり治ったし,胃けいれんをおこしたときには内科医にかからなくても家人や自分でしかるべきツボを指圧すればピタリと症状がおさまった.そのくせ大きな顔をしている西洋近代医学に対しては子供ながら不信感も強かった.それにもかかわらず看護とかかわることになったのは,結局のところ「癒し」というものに興味があったからで,当時の私が知るかぎり,看護職が「癒し」に最も近い存在だったからだと最近になって理解することができた.
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