特集 いま,癒し手としての看護について
いま,なぜ“癒し”なのか
上野 圭一
1
1日本ホリスティック医学協会
pp.826-829
発行日 1995年9月1日
Published Date 1995/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661904885
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“癒し”の排除
西洋近代医学はその発展の過程で“癒し”(healing)と“治療”(treatment)とを峻別し,医学から“癒し”を排除する道を選んできた.生物医学モデル(biomedical model)を理論的支柱に定め,人為による生命の完全な管理を最終目標とする近代医学は,科学的に因果関係が立証可能な“合理的病理観”を確立し,その病理観と整合的に対応する“合理的治療”を是として,つねにあいまいさや非合理性がつきまとう“癒し”を当然のことながら否定したのである.
その結果“癒し”はやがて,近代医学が主流になった世界の多くの国々において文化の周縁に追いやられ,文字どおり「周辺医学」(fringe medicine)とみなされるようになった.“癒し”は医学界からのみならず,一般の人々からも,う散くさいものとみられるようになり,本来“癒し”を生業とする伝統医学・民俗医学の癒し手(healer)たちは医師よりも数段劣る存在とみなされ(彼らは日本では法的にも「医業類似行為」者または「療術師」とよばれている),日陰の生活を余儀なくされる時期が長く続くことになった,そして,癒し手たちの多くは磨かれた直観に根ざす伝統的な癒しの術(healing arts)を捨てて,科学的医学(medical science)の用語でみずからの伝統を解釈するようになり,術そのものの水準の低下をまねくことにもなったのである.
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