特集 病院で死ぬということ—看護婦の立場から
ターミナルケアに何を見るか—生きて,生ききるために
小松 智世美
1
1財団法人太田総合病院
pp.220-222
発行日 1994年3月1日
Published Date 1994/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661904486
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緩和ケア病棟設立の断念
私の勤務する病院に,ターミナルケアにどう取り組むかを検討する委員会が設けられたのは,もうだいぶ前のこととなってしまうが,1988年のことであった.
当財団法人「太田綜合病院」は,3つの病院(太田記念病院,太田熱海病院,太田西ノ内病院)から成っており,委員会はそれぞれの病院の代表者で構成された財団所属の委員会組織だった.その時の委員長は副院長(理事)が務め,私は幹事として任にあたった.そこからの数年の間には,委員の交代があったり,委員会そのものの位置づけが変わったりということがあったものの,委員会活動をし続けた.しかしながら,究極の目的である緩利ケア病棟実現に向けてもう一歩探れずに,また院内では病室の確保も難しいという状況から,結果的には緩和ケア病棟設立は断念止むなきとの結論に至った.そのため,この委員会は一昨年前に解散となった.
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