巻頭グラフ この時この一葉
知られざる日赤初代看護婦監督—埋もれていた高山盈の活躍
山根 信子
1
1看護史研究会
pp.586-587
発行日 2000年7月1日
Published Date 2000/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661903496
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日本赤十字社病院の看護婦監督でよく名の知られた人物としては萩原タケ(1873〜1936)が筆頭に挙がるだろう.萩原は第1回ナイチンゲール徽章の受賞者でもあったため,世間ではこの人が初代の日赤看護婦監督と思っている人が少なからずいる.しかし,萩原は4代目であって,初代監督の高山盈の薫陶を受けている.
高山については,長年日本赤十字看護大学の図書館係長を務めた吉川龍子氏が1987年に『高山盈の生涯〜心の色は赤十字—初代の看護婦監督〜』(蒼生書房)を出版してようやく知られるようになった.高山は天保14年に誕生,嘉永,安政,万延,文久,元治,慶応,明治と,幕末から明治期にかけての激動の社会変革の中を生きぬいた人である.家庭では主婦であり妻であり母であったが,39歳の時に教師となり学習院や華族女学校などで教鞭をとったのち,52歳で日本赤十字社病院の初代監督に就任した.就任した1894(明治27)年は日清戦争が始まった年で,翌年には戦時救護に尽力したとして同僚数名とともに民間人の女性としてはじめての叙勲を受けている.この時代の戦時救護は,看護婦の戦地派遣はなく,国内の陸軍病院での救護事業を行なうという形態であった.
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