連載 考える
ターミナルケアからの歩み—一看護婦の「物語」・3
人は,何千年ものあいだ……
竹内 輝江
1
1大阪府立病院外科病棟
pp.268-271
発行日 2000年3月1日
Published Date 2000/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661903430
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私の経験は,しょせん私だけのもの…?
ニューヨークの末期がん専門病院で半年間患者サービスに携わり,再び日本の病院で働き始めた私は,かつてキャルバリー病院のスタッフが私にしてくれたような支援を,今度はほかのスタッフにする立場に置かれていました.ところが,どうしてもうまくいかないのです.
キャルバリー病院での,ありとあらゆる場面を思い起こしてみます.「自分が我慢して物事を丸く収める,というやり方で対処してはいけない」といわれた場面.「月に1度は,上司にいえない不満や悩みを共有する若手だけのミーティングを開く.必要ならカウンセラーにも参加してもらう」という話を聞いた場面.「ケアするためには,まずはその人自身が,誰かから十分な配慮や心配りをされていなければならないのよ」と諭された場面.カルチャーショックの連続だったためか,当時のことは自分でも驚くほどよく覚えていました.が,思い出すことができただけで,それらの記憶をどう活用していいのかはわかりません.記憶はしょせん個人の頭のなかだけのもの,それをそのまま話しても,誰かの支えにはならないのです.私はがっかりしました.
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