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前回は「両親や恋人が,実は何者かに送り込まれた本物そっくりなにせものである」と思い込んでしまう「カプグラ症候群」について書きましたが,この症候群と対で語られることの多いのが,「フレゴリの錯覚」という現象です.これは「身の回りにいるさまざまな人物が,すべてある特定の人物の変装である」と思い込む症状で,なぜか歴史的に「フレゴリの錯覚」という名前がついてますが,実際は「妄想」です.1927年にフランスのP. クールボンらが最初に報告したものです.
クールボンらが報告した例は,27歳の独身女性の統合失調症患者で,貧しい労働者の娘だったのですが,男たちの下品さを毛嫌いし,女性の精神の高潔さを誇りにしていたといいます.彼女は大の芝居好きで,劇場に通ううち,サラ・ベルナール(ミュシャの美しいポスターでも有名な,当時の大女優です)とロベーヌ(こちらは無名の女優)という2人の女優と不思議な愛の交流を行なうようになります.彼女たちが通行人や近所の人など,さまざまな人物に変装して自分を追いかけ,自分の考えをさしおさえて別な行動(たとえば自慰)をとらせる,というのです.患者自身の言葉によれば,「女優というものは,自分を簡単にフレゴリのようにすることができるし,他の人をフレゴリ化することもできるのだ」とのこと.
ちなみに,フレゴリというのはイタリア生まれの実在の俳優で,歌手,踊り手,物真似,パントマイム,手品師などをこなし,みずからシナリオを書き,男役も女役もこなし,1人で計60役を演じることができたといいます.彼は変装道具をトランクいっぱいに詰め込んで世界各国を巡っていたそうで,まるで手塚治虫の描く「七色いんこ」みたいな俳優です.それにしても,俳優の名前がついた症状名というのは,このフレゴリの錯覚のほかにはあまり聞いたことがないですね.
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