連載
患者になった旧友との往復書簡―「前略 小生、透析を始めました。」・6【最終回】
東 めぐみ
1
,
中村 厚
1駿河台日本大学病院看護部
pp.267-269
発行日 2007年3月1日
Published Date 2007/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661100889
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
晩秋から初冬へと季節の移ろいを感じるこのごろです.朝,通勤のときの空気の冷たさや吐く息の白さ,木の葉の色づきなど,何気ない変化を楽しむことができる季節でもあります.最近は霜柱を踏むこともめっきり少なくなりましたが,自宅から最寄り駅の間にわずかながら土の道があり,霜柱を踏むことができます.あのざくざくっという感触は「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」という高村光太郎の詩の一節,もっと甘美であるなら白秋の「君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」などを思い出させてくれます.
前置きが長くなりましたが,3回目の中村さんの手紙は,病を得て生きる軌跡を率直に語ってくれていて心を打たれました.2回目の手紙では,もっと正面から語ってほしいという思いが湧いたのですが,3回目の手紙を読んで今まさに病とともに生きているあなたの“生活世界”,つまり生きてきた体験を垣間見た気がしました.「救急車で搬送されたときの隠すことなく生きていけるという解放感」「気がつけば自分が社会的弱者となっている困惑」「徹底した自己管理の束縛感」.私たち医療者はこのような思いをあまりに知らなさすぎる,あるいは医学的見地から患者さんを捉えようとして,本当に見なくてはならない大事なものが見えていないように思いました.
Copyright © 2007, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.