連載 とらうべ
「胎児条項」の意味するもの
安積 遊歩
1
1DPI女性障害者ネットワーク
pp.549
発行日 1999年7月25日
Published Date 1999/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611902198
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1994年のエジプト・カイロでの国連主催による「国連人口・開発会議」で,私は優生保護法の差別性を世界に向けて訴えた.障害をもつ人を“不良な子孫”と決めつける条文は,3年後に削除され,「優生保護法」という名前も「母体保護法」と,奇妙な名称に変わった.長い長い間の障害をもつ人への差別がこれで一段落かと思ったのもつかの間,最近,「胎児条項」という言葉がマスコミにしばしば登場するようになった.
私は1996年,優生保護法が文言としてなくなった年に,自分と同じ障害をもつ娘を産んだ.40年かかって自分のからだを肯定できるようになった,その証しのように,今まで不妊症だと思いこんでいた私に,新しい命が宿ったのた.障害をもつ人たちは,子どもは「五体満足」で生まれてほしいというこの優生思想社会にあって,すさまじい自己否定感を募らせながら生きている.私も特に10代,20代のころは,自分のからだが,この社会からまったく歓迎されていないのだと,つくづく辛い日々を生きていた.
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