特別寄稿
新潟の助産婦教育の黎明
蒲原 宏
1
1日本歯科大学医の博物館
pp.150-159
発行日 1999年2月25日
Published Date 1999/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611902113
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はじめに
新潟県の近代化は明治4年(1871)7月14日に廃藩置県,同年11月20日各藩の新潟県,柏崎県,相川県への統合,ついで明治6年(1873)6月10日の柏崎県の新潟県への合併,さらに明治9年(1876)4月18日の相川県の新潟県への合併で,行政的に現在の原型が成り立って完成に近くなった。欧米に追いつけの政策であった。
県内の近代化は大久保利通の懐刀であった楠本正隆(1838-1902)県令の赴任によって急速に進められていった。近代化は西洋化と同じ意味であった。衛生行政,医療関係の教育もその近代化路線の上を急ぎ足で歩むこととなる。
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