連載 りれー随筆・151
私の元気のもと,それは家族
村山 輝子
1
1JR東京総合病院
pp.346-347
発行日 1997年4月25日
Published Date 1997/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611901693
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自立した将来を夢みて
看護婦になろうと思ったのは,小学校高学年の頃でした。白衣姿に憧れたことと,田舎に生まれ育った私の周りで女性が自立できる職業といえば,教師か看護婦だったからです。仕事の中身がよくわからないまま,看護学校に入学してみてがっかりしたことがありました。それは,初めての実習の時のことでした。中年の男性の患者さんに「どうして看護婦などという地味な仕事を選んだの?あなたならもっときれいな職業ば選べただろうに」と言われたのです。この時はじめて,世間の看護婦に対する評価がわかりショックでした。しかし,「今にきっと看護婦の仕事の重大さがわかる時が来るはず」と気をとり直したことを,今でもよく覚えています。
看護婦人気が高まっている現在,看護婦という職業がようやく世の中に認められたことを肌で感じて嬉しく思います。
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