特集 ニードにこたえる
今,看護者がニードについて再考すべきことは
岡部 恵子
1
1日本看護協会看護研修センター卒後教育部
pp.708-715
発行日 1988年9月25日
Published Date 1988/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207458
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はじめに
「ニード」について書くことを引き受けました。しかし,私には臨床で看護していた時には「ニード」という言葉を用いたという記憶がないのです。「ニードを把握した看護を!」とか「対象のニードを知るには」などと考えたことがないのです。困っている人の役に立ちたいと考えて看護婦になった私は,看護の場ではいつも「私にできることはなにか」「私のしなければならないことはなにか」と考えていました。
たしかに私は「対象のニードを」という言葉をつかうことなく看護をしてきました。が,看護の対象である妊産婦のニードをまったく考えていなかったのではありません。いや,よい看護者になりたい,妊産婦の役に立ちたいという私のニードを満たすためには,どうしても看護の受け手について真剣に考えざるを得なかったのです。よい看護をしてきたという自信はありません。が,私自身を看護の提供者として育てていくため,すなわちよい「看護者になりたい」という私のニードを満たすため「これが看護といえるのか」と看護の対象に問いつづけ,私自身に問いつづけてきました。看護も,援助も,相互関係の中でしか成りたちません。だから看護の提供者としてのニードを満たすためには,看護の受け手のニードを満たしていく努力をするしかなかったのです。
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