特集 助産婦のアイデンティティ
私の考える助産婦像
松岡 悦子
pp.206-211
発行日 1987年3月25日
Published Date 1987/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207090
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私は自分の3人の子供を3人共助産婦さんにとりあげてもらった。おかげでお産は苦しくはあるが,楽しい満足のできる体験として残っている。会陰裂傷もなく屈辱的な体験をしないですんだこともありがたいことであった。
第1子は1980年に助産院でラマーズ法で,第2子(1983年),第3子(1986年)は助産婦さんに来ていただいて自宅で産んだ。今ふり返ってみても,この選択は良かったと思っている。このような選択ができたのは,1980年前後から自然分娩運動や女性たらによる自主的な準備出産クラス,お産に関する出版物など産み手の側からの情報が豊富になり,それらを通して自分はどんな出産をしたいかを考えることができたからである。だがどんな出産をしたいかが決まっても,現実には誰かにとりあげてもらわねばならない。とすれば,とりあげ手によっては,自分の望むような出産をさせてもらえないこともある。お産といえばほぼ全員が病院でするものと思っている時に,ラマーズ法で産める助産院をどうやって探すのか,第1子の妊娠時には,産み場所を見つけるのに苦労した。しかし保健所で尋ねれば,意外と開業助産婦さんがそう多くはないが健在なのである。その時の嬉しさと意外さ。保健所は出産施設の情報や,妊婦検診が無料で受けられることを,もっとPRしてほしいと思った。
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