連載 助産婦職能の変遷を探る・14
国民優生法成立に瀬木氏は関係せず
大林 道子
1
1東京女子大学短期大学部
pp.619-625
発行日 1986年7月25日
Published Date 1986/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206921
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誤解も生まれやすかった瀬木氏の立場
瀬木氏が東京帝大医学部から大学院を経て産婦人科助手となり,母子衛生への道を歩き始めるちょうどその時期は,日本が満州事変から日中戦争へと戦火を拡大し,国際的に非難を浴び孤立していく時期と重なっている。
そして,瀬木氏がドイツ留学へ出発する1938(昭和13)年は,厚生省が誕生したその年であった。もともと瀬木氏の留学を準備した東京帝大医学部産婦人科教授白木正博氏の目的も,厚生省設置の動機と軌を一にしていた。瀬木氏自身がそれをどれほど意識していたか,つまり政治的次元で考えていたかは別として,国の焦眉の問題としての人口問題の研究調査を進めることになる。
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