グラフ
敦賀半島に色浜の産小屋を訪ねて
本誌
pp.633-636
発行日 1984年8月25日
Published Date 1984/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206492
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かつて福井県の若狭湾敦賀湾沿岸には産小屋が数多く存在していた.特に敦賀(立石)半島の東海岸沿いの繩間・常宮・沓・手ノ浦・色浜・浦底・立石の西浦七郷は,つい近年まで産小屋習俗が女性たちの日常生活の中に根づいていた地域である.昭和45年に半島の突端立石地区に原子力発電所ができるまで,一帯は陸の孤島であった.発電所のための道路が開通した影響力は大きく,高度経済成長期であった時期とも一致して,半島の人々の生活は大きく変化した.
いま,半島の人々はほとんどが敦賀市内の病院や診療所でお産をする.色浜の産小屋で最後のお産があったのは昭和40年.そのときに生まれた娘さんも20歳を迎える.産小屋で実際にお産を体験した方々から話を伺ったが,産小屋に居る間だけは家事からもわずらわしいできごとからも離れられ,楽ができてうれしかったとのこと.血の穢れを忌む風習から始まった産小屋も,案外,産褥期の母体復古と精神衛生のためには,きわめて有効な制度だったといえるようである.
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