特集 いま分娩を考える
立ち産へのトライアル
エピローグ
21世紀の"夜明け"に向けて
大島 清
1
1京都大学霊長類研究所
pp.284-287
発行日 1983年4月25日
Published Date 1983/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206217
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立ち産経験者と5名の助産婦の意見開陳は,一応以上で終わる。読者の印象はいかがであろうか。ここまで読まれた読者にも,立ち産がいまひとつ実感としてわいてこないのではなかろうか。当然である。A医師から借り受けた写真を見せ,簡単な説明をしても,助産婦さんの顔には,まだ困惑といぶかりの影がよぎる。立ち合った医師や助産婦と,幾度となく会って話を聞いているうちに,やっと輪郭がわかる,というのが実情である。五感いっぱいに,立体的に感受したものでなければ,何事にも実感がわかぬものだ。四次元のお産ではなおさらのこと。本当のお産の基調となる,静かで,素朴な喜びの風情は,大沼さんの,幼児の体験に,うまく描写されている。こういう情景で生まれた子はすくすくと育つ。最近は,子育てが歪められているとしか思えない。母親の,出生時の精神的充足感の欠如,母子スキンシップの不足,さらに妊娠中の子宮内母子分離などが,現今,施設で行なわれているお産の実態である。今回の,立ち産を見つめる試みは,ただ単に,立ってお産をするという出産の形式を問題にするのではないことも,ここでもう一度強調しておきたいし,読者も,すでに十分理解されていることだ,と思う。
ある病院のある医師,といったように,実名を明言できない実情もご理解いただけると思う。従来の分娩形式でない立ち産や夫参加が大っぴらになると,病院の管理体制が問われるのである。
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