キャンパスだより
新しい母子保健の担い手として—佐賀県立衛生専門学院・保助学科
中村 柱子
pp.61
発行日 1976年1月25日
Published Date 1976/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611204984
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伝統を作りあげるのは私たち自身
新幹線博多駅から急行で長崎方面に行くこと40分。佐賀市のほぼ中央に,私たちの学院はあります。佐賀といわれてピンとこない方でも,"武士道とは,死ぬこととみつけたり"で有名な葉隠の里と言うと,"ああ"と思われるのではないでしょうか。今,県内は,51年度佐賀国体にそなえ,街中が国体一色に彩られています。そしてその中,県木,楠の青葉繁れる県立病院好生館の一角にそびえるのが,衛生専門学院です。ここの歴史は浅く,看護学院として,昭和43年開院。昭和46年衛生専門学院と名称をかえ,保助科ができ,私たちは第5回生にあたります。伝統たるもののない段階ですが,1回生からつくられた重みを感じ,少しずつその上に積み重ねつつあります。
衛生専門学院の名の通り,看護1科,2科,保助科の合併校舎ですが,私たちが看護科の人たちと一緒になるのは,年に数回程度。少々淋しい気もしますが,足並みが違うので仕方のないことかもしれません。けれども,今年は院内対抗のバレーボール大会に参加でき,楽しい交歓の場をもつことができました。
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