インターホン
脱日本に思う
菅 恭子
1
1東京女子医大第二高等看護学校
pp.62
発行日 1973年3月1日
Published Date 1973/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611204497
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過日,助産婦学校時代(保健婦との合一教育の専攻科)の友より電話があり,今度ネパールヘ向けて医療技術援助者としての試験に合格し,出発に備えての3カ月の訓練を始めるところだという話であった。その訓練というのは,同行者全員が語学はもちろん,体力づくりにマラソンを毎日するなど,けっこうハードスケジュールだそうで,もともと体力のないか細い彼女のどこにそんなファイトがあったのかと感心するかたわら,聞くうちに出発前に衣びてしまうのでは?と心配になってきた。
けれど出発する彼女もそれを聞く私も落ちついているのは,もうすでに同級生が2人,それぞれラオスとアフリカヘ行っているからであった。ラオスの友はもうすでに約束の期限の2年目になるし,アフリカの友は,昨年の秋,「明日,出発するの」と,いともあっさりとした口調で電話をかけてきて,こちらはあわただしく都合のつく仲間に連絡し合い,4人ほどで,ささやかな送別会をして送ったのである。
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