婦人の目
はびこる有害食品
山主 敏子
pp.61
発行日 1969年7月1日
Published Date 1969/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203781
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おそい北国の桜ふぶきの下の農道を,20人ほどの葬列が通る……という書き出しの投書がある新聞の片すみにのっていた.いはいを持っている幼い子は,4歳の兄,親戚の人に背負われている2歳の弟,このふたりの子らの母がひつぎの主で,まだ27歳の農婦だったという.なぜこの若い母は死んだのか? 夫は出かせぎにいっているので,春先のせわしい農作業は女と老人の仕事である.
若い母はひとりで畑へ出かけて石灰窒素をまいた.その化学肥料が風にあおられて,彼女の呼吸器にはいった.胸が苦しいといって入院し,数日であえなくなった.急をきいて出かぜぎ先からかえってきた夫は,"わしが畑をやっていたら……"と男泣きに泣いたという.あわれな話である.新聞記事にもならないそんな庶民の死は,いたるところで起こっているにちがいない.化学肥料のおかげで豊作はつづいているが,田んぼにはドジョウもタニシもホタルもいなくなり,イナゴの姿さえめったに見られなくなった.それらを食べて生きている鳥も年々減っている.そして米はあまり,また米のなかにも毒物がはいっているとかいないとか,米のごはんも安心して食べられなくなってきた.ふとるのは化学肥料メーカーだけである.
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