霞ケ関だより
さらに減った就業助産婦
広沢 克江
1
1厚生省医務局看護課
pp.47-48
発行日 1968年11月1日
Published Date 1968/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203654
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昭和42年末の,厚生省報告例による就業助産婦数(第1表)がまとまりました.こぞんじのとおり昭和41年までは,就業助産婦自らが行なった業務開始,2年毎の業務継続,就業地移転,業務廃止の各届出により,各都道府県にそなえられている就業助産婦名簿に基づき,毎年12月末の就業者の状況を厚生省がまとめて公表してきたのですが,昭和42年.保健婦助産婦看護婦法の第33条が「業務に従事する保健婦,助産婦,看護婦または准看護婦は毎年12月31日現在において,その氏名,住所その他省令で定める事項を翌年1月15日までにその就業地の都道府県知事に届け出なければならない」と改められ,この新しい様式に(注1)よる届出に基づいてまとめられたのが昭和42年の数なのです.
この数を昭和41年と比較してみますと,「総数」において約12,000人の減,これを就業場所別にみますと,「病院」が106人減,「診療所」は490人増です.大きくかわりましたのは助産所で,このうち「開設者」が7,899人減,「従事者」は467人増,「出張のみによるもの」が4,819人減ということになります.この数をそのまま信ずるならば,41年末の開業助産婦の1/3がこの1年間に減ってしまったことになります.ただ,就業届の方法が変わった第1回目の統計ですから,多少届出もれなどもあるとは思いますが,しかしこの少ない数の方が実態なのだと思います.
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