巻頭随想
「婆」の心組
北川 冬彦
1,2
1日本ペンクラブ
2日本文芸家協会
pp.9
発行日 1968年10月1日
Published Date 1968/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203631
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戦前には,助産婦とはよばずに,産婆とよんだが,3人の私の息子は3人とも浜田病院出身の一産婆に取り上げてもらったので,産婆という名称の方が親しみがあるのは無理もないことだろう.産婆が助産婦に改称されたについては,専門上の何らかの理由があるにちがいない,とは思う.
今日では,子を生むというので聞いてみると,私が聞いたかぎりでは,みな,病院で生むのだ,と答える。それには,万一,異変があったとき,病院だと,すぐ医師に処置してもらえるから,安全感があるのであろう.それに,面倒な手数もかからない,というのでもあろう.しかし,大きな病院などで,ときに,赤ン坊が間違えられたという記事が新聞に出たりして,私などには,安全感が脅かされるのをどうしようもない.もう子ができる年齢ではないし,できては困るが,かりに私に子が生まれるとした場合,私は病院で生ませる気にはなれない.たしかに病院には設備が整っているし,面倒くさくもないし,それがいいことはわかるが,1人の腕のいい産婆にめぐり合わせただけに,病院にあずけるのは白々しい思いがするのである.
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