胎教論・1
その思想の流れ
村上 氏廣
1
1名古屋大学環境医学研究所
pp.36-38
発行日 1965年10月1日
Published Date 1965/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203058
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母親はその子の生声をきき,その五体に異常がないということをたしかめてはじめて責任を果たしたやすらぎの心持ちになるといわれている.親としては,その子が形の上でも知能の上でもまともな状態で生まれることを願わない者はない.そうでない場合には,本人はもちろん,その一家の不幸はとうていいいあらわすことはできない.このように母親や両親のみならず,世の人はみな生まれつきの形の上の出来損い(奇形)や生まれつきの知能の障害などを併わせていう"先天異常"の有無にたいへんな関心がある.また全く形のないところから"子"という形ができ,しかも両親やその家系の者に似たところのあるものが生まれてくるという生殖の事実に対し,昔の人びとは絶大の神秘を感じ,原始宗教の起原の一つにもなった.子孫ができることに対し科学的にあきらかにされた今日でもなお,そのあまりに精巧なしくみに驚き,神秘を感じないわけにはいかない.両性からの性細胞の合一,すなわち受精,受精卵が二つに割れ,四つになり,さらに八つと次々に数を増し,やがて一定の法則に導かれて生物の形ができ上る.この一定の法則に導かれて生物の形ができ上るなりゆきは,発生学の上では"誘導"といわれているが,その自然の巧さにおどろくばかりである.目にみえない何者かに導かれて,生物の形をこしらえていく途中でつまづきがあると,一定の順序に従い規則的に導かれていく発生のなりゆきがゆがめられて奇形ができる.
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