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老助産婦のよろこび
園田 アヤ子
1
1大阪赤十字病院
pp.25
発行日 1962年2月1日
Published Date 1962/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202274
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毎日の私共の仕事は計画が細かく立ててあるが,これも昼間は大体計画通りであまり突発事故は少ないが夜の仕事はまつたく運命というよりほかにないようなことが起ります.助産婦の方々は誰でも,不思議とさえ思うような経験をおもちだろうと思います.そこで私のよろこびと申しますのはほかでもなく,当直の夜の仕事をあまりにもたくさんしたからなのです.これは私としてのレコードを破つたことでした.
当院の産科では1カ月に数晩は誰かが夜通し連続,分娩介助をすることがあります.その多くは私が受持つている若い医師グループでもつぱら評判だということを"ある医師からきかされました.その時私は「老人はもうさきが短いので運命の神さまが,そうして下さつたのでしよう.当直は働くためのものですから」といつて話をしました.それから間もない,当直の日のことでした.午後4時半が昼間との交代ですので10分ほど前に分娩室に行き,申し継ぎをききますと,まもないほどの産婦がいらつしやるとのこと,まあ初産婦だからと,分娩室に移しておくようおねがいしておき,大急ぎで夕食もそこそこにかけつけますと,手の消毒もようやくで,もう排臨から発露に進行して,この方を振り出しに次から次と絶えず分娩室に2〜3名,ウンウン,ハアハア,オギアオギアの連発,まるで豆をいるようといいますか,3カ所の病室からつぎつぎと分娩室に出しては帰り,出しては帰り,生まれること12名でした.
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