映画時評
曲り角の大作1本立
外輪 哲也
pp.40
発行日 1959年11月1日
Published Date 1959/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201791
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6月から,映画界不振の原因は,乱作と2本立興行にあるとして,「座して死を待つより,出でて死中に活を求めん」とばかりに,高らかにラツパをふき鳴らして,断行された大映の「大作1本立興行」が,竜頭蛇尾の形になり,どうもぱつとしない.「1本大作主義」のウタイ文句だけが,空しく響いている.この原因として,今大映のスターは,新旧の交代期にあるが,大作を支えるだけの魅力ある新人が抬頭していないこと,大作と真正面から取組める監督が少ないこと,作品にカラー(作品の特長)を失なつていること,2本立時代と現在の企画が五十歩百歩でこれといつた違いがないことなどが挙げられる.ヒツトして話題になつたのが,ゲイジュツか,ワイセツかで売つた「鍵」しかないのは,どう考えてみても,なさけない.なんのことはない,「性と暴力」で押さなければ,動きがとれないという映画界の苦境(風紀問題としてこの風潮は社会の批判の的にもなつている)を暴露したようなものである.
「1本大作主義」には,上映時間の衛生的理由や,映画の質の観点から,替成者が多かつたし,またそれだけの支持があつたからこそ実践されたのだが,羊頭をかかげて狗肉を売られたのでは,1本立より2本立の量を選ぶのが観客の人情である.だが,まだ「大作1本立」が失敗だつたと見るのは早計である.
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