講座
無痛分娩の片々
菊池 健治
1
1東北大学産婦人科
pp.10-16
発行日 1954年9月1日
Published Date 1954/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200681
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1.感想と期待
パウロフの高級神経活動学説を基礎として発展したこの無痛分娩法が,日本に渡来して芽生えてから既に一年半になつた.近来は日本各地で多数の支持者や追試者をえて,着着とその地歩をかためているが,その反面かなり強い抵抗や反撃もうけている.これを支持しているのは,広い婦人層と助産婦層及び一群の産科医層で,これに抵抗反撃をこころみているのは他の一群の産科医層である.
私は1952年2月1日,当時天津市の中国第一軍医大学産婦人科を主宰していて,この無痛分娩の中国における歴史的な第一例を実施した.これが中国での無痛分娩の黎明であつたが,恐らくこれは東洋での第一例でもあろう.当時私は抑留状態という特殊な環境下にあつたため,これが中国婦人層の絶大な歡迎と支持をうけて,正に燎原の火のごとくに中国全土を席捲してゆくのを眼のあたりに見ながら,しかも自らが主流となつてこれを推進していながら,余り大きな感慨を覚えなかつた.第一軍医大学で出した「無痛分娩法」(天津進歩日報社版)という小冊子が52年7月に出版されたが,それがその月の中に2万部も売れたのだから,文字通り"中原の紙価を高める"べストセラーであつた.然し,"お玉ぢやくしが親となる"(かえる)のだけを唯一の楽しみとしていた私には正直な話,大きい張合いが起らなかつた.
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