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二昔前の歌舞伎
pp.43-44
発行日 1954年8月1日
Published Date 1954/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200672
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子供の頃,母親に歌舞伎へ連れて行つてくれとせがむと三度に二度は『団菊のいない芝居など高いお金を払つて見にいけるもんてすか』とことわられてしまつたものである.ところが,いつの間にか今では自分にその番が廻つて来てしまつた.役者も生身であればそういつまで命がつづくものでもないし,かりに生きてはいたとしても老衰してしまつては全盛期のような精彩のある舞台がつとまらないのは当然である.二昔前,身にそなわつた気品だけを身上として,坐つたきりで淀君や日招きの清盛などを演じた歌右衛門などはそのいい例である.年月の移り変りと共に舞台上の役者の顔振れが変るのはやむを得ないとしても,昔とくらべて今では観客と舞台とがますます遊離してしまつたことは古い見物人にとつては堪えられない悲しみである.ますますと言つたのは,われわれが子供の頃,すでに母親達がわれわれに同じようなことを言つてきかせていたからである.
では,一体二十年前の歌舞伎とはどんなものであつたか.まず,その頃の歌舞伎と言えば,明治時代の早朝から夜半までの長時間興行の悠暢さはなかつたとしても,開演は午後の三時頃で最演は夜の十一時近くなるのが普通であつた.初日は勿論これより早くはじまり,夜半すぎても演目全部は演了出来ず『まず本日はこれぎり』で打出すことが少くなかつた.
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