私の経験
注射器を持てぬ悲しさ
高松 スズ
pp.36-38
発行日 1953年3月1日
Published Date 1953/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200304
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咲き遅れの菊の花が霜に色あせ夕日にその影を長くひく頃,私は月々の報告を手に保健所を訪れました。雑談の中に「S町の助産婦が注射をする」と投書がありましたとの事,「ビタミン注射を助産所へ通わせてやるんですつて」勿論妊婦さんへです。こんな話を係の方から伺いました。実は私も,ビタミン注射位なら素人の方さえやるんですから,一寸一本やつて下さいと申されゝば気軽にやりました。液は本人が持つて居られますから平気で居りました。万一に供えて分娩用カバンの中にも皮下注射器及びビタミン,麦角のアンプルも1,2本は用意し,幸い病院もあり開業医の先生方も比較的多いので使用せずに過して参りましたが,このお話を伺い注射器も持つておれば使いたくもなる。頼まれもする。一層入れておかなければさつぱりすると思いその時より取り出しておきました。それから3カ月何事もなく打ちすぎ投書の件の話も再び耳にすることもなく,私もすつかり忘れておりました。
12月某日(予定日)分娩の模様がありますからとの迎えを受けました。朝食も急ぎ済ませ約2キロの道を走り,どうか御無事に安産出来ます樣と祈りつゝ馳せつけました。陣痛開始午前5時頃,陣痛5分間隔内診の結果卵胞を触れ子宮口5cm位開口しており,8時30分。この分では11時頃には分娩も済むことと思い,産婦を元気付け用意を整え観察しておりました。
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