私の経驗
悲しき思出深いお産/助産婦と勘
石田 みつ
pp.46-49
発行日 1952年10月1日
Published Date 1952/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200200
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開業致しまして39年間今なお忘れられない悲しい思出で御座います。大正13年5月11日の朝突然金沢を去る1里半森本駅より1里とはない山間より初産で4・5日前より陣痛が初まりここ2・3日程は産婆も医者(産科專門ではなくいわゆる何でもやる田舎の老医)も「まだだ,まだだもう少し辛抱しておれ」と言うていますが,本人はもう身動きも出来ず苦るしがつていますので,一度来診を乞うとのことで御座いましたので、早速人力車にのつて山の下まで乘りそこからかなり急な坂道を車夫に器械箱をかつがせて参りました。今記憶を呼び起しますにとつても大きな家で,産室には20人程の親類の人,村の人があつまつて私の姿を見るなり「産婆さん助けてやつてくだされ」(方言)助けてやつてくだされと手を合された時思わず涙がにじみました。
産婦は23歳のひなにはまれな美人で御座いました。両親に死別れここは伯母の家で,初産に帰つているのでした。産婦さんは私を見るなり涙をホロリとこぼし手を合すのみ炬燵の台にふとんをかけてうつ伏せになり,右も左も身動きすら出来ず,食事もここ二日程は採らず陣痛はだんだん遠くなり20分に1回程発作あれどいきむ力もないとのことで,6人がかりでやつと仰臥位に致し腹部を見るなり双体かと思いました。臍下が一升樽程の大きさになつているのです。
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