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はじめに
障害者スポーツの国際的な発展は20世紀に入ってからである.Sir Ludwig Guttmann(1900~1981)は,ロンドン郊外にあるストーク・マンデビル病院で脊髄損傷者の救急期処置からリハビリテーション訓練に至るまで一貫した治療システムを作り,そのなかに車いすスポーツを取り入れ,脊髄損傷者リハビリテーションに対する輝かしい業績をあげた.1949年に国際車いす競技大会を開催し,以後この大会は国際ストーク・マンデビル競技大会として毎年開催され今日に至っている.1960年ローマ大会で,オリンピック開催地において初めて世界的な障害者スポーツ競技大会が開催されることとなり,1964年に東京で開催された第2回大会からParalympicと呼称されている.
わが国では,ストーク・マンデビル病院に留学した故中村裕博士によって,1960年に車いすバスケットボールが紹介され,1961年第1回大分県身体障害者スポーツ大会でデモンストレーション試合が行われた.
わが国の障害者スポーツへの本格的な取り組みは,東京パラリンピック以降である.1964年11月8日より12日まで,車いす選手参加の国際ストーク・マンデビル大会(東京パラリンピック)が東京代々木を中心に第一部として行われ,第二部として1964年11月13,14日に,車いす選手を除いた身体障害者による国内大会が46都道府県および沖縄代表選手,480名の参加で開催された.翌年11月,第1回全国身体障害者スポーツ大会(身障国体)が岐阜県で開催され,以後毎年,秋季国体の後に同じ施設で開催されるようになり現在に至っている.
一方,精神薄弱者のスポーツの歴史は浅く,全国大会としては「第1回ゆうあいピック東京大会」が1992年11月21,22日に開催されて現在に至っている.
身障国体の個人競技は,原則として一度しか出場できない“動機づけ大会”であることが特徴的であるが,身障国体に参加した選手らが競技団体(陸上競技,バスケットボール,アーチェリーなど)を組織化し,各競技種目ごとの日本選手権大会などを毎年開催するまでになっている.
わが国では,1963年4月に東京パラリンピック開催のために「財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会」が設立された.その後,1965年5月から,現在の「財団法人日本身体障害者スポーツ協会」と改めて活動を行っている.同協会の事業は,スポーツ大会の開催,開催の奨励,選手の強化,国際競技大会への選手団の派遣,およびスポーツ指導員の養成などである.
今回,「身体障害者スポーツの開催状況」について,財団法人日本身体障害者スポーツ協会発行の「平成9年度身体障害者スポーツ振興事業実施概要」をもとに紹介する.
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