Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
「ボケ名人」―『暗夜行路』第4の13より
高橋 正雄
1
1東京大学医学部精神衛生・看護学教室
pp.883
発行日 1994年10月10日
Published Date 1994/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552107716
- 有料閲覧
- 文献概要
『暗夜行路』の後編には,老人性痴呆と思われる老人が登場するが,そこには老人の泰然自若たる態度が半ば理想化されて描かれているため,図らずも痴呆による人格変化の肯定的側面が示されているように思われる.
暑い夏の日盛り,謙作が老車夫に荷を担がせて大山に登る途中,「分けの茶屋」で休憩した時のことである.謙作たちが茶屋に着くと,店の外ではたすき掛けをした老婆が鮭の塩びきを洗っていた.謙作が茶店の中を覗くと「客用の間の真中に八十近い白髪の老人が立てた長い脛を両手で抱くようにして,広い裾野から遠く中の海,夜見ガ浜,美保の関,さらにそと海まで眺められる景色を前に,静かに腰を下ろしている」.この老人は「謙作たちが入って来たのも気づかぬ風で,遠くを眺めていた」が,老婆から菓子を出すように言われると「黙って立った」.その様子は「風雨にさらされた山の枯木のよう」で,彼は駄菓子を持って来て「おいで……」と頭を下げると,元の場所へ還って腰を下ろした.
Copyright © 1994, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.