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はじめに
電気刺激で痛みを和らげる治療法は,経験に基づく古代から存在する医療の一つであった.そもそもは,ローマ帝国時代の紀元前2世紀にMarcellus de Sidaという医師が,シビレエイに感電した後で,痛みがなくなった患者を経験して,電気発生魚に感電させる痛み治療法を開発したと伝えられている1).一方,ギリシャ時代にもこのような電気治療が行われていたようで,Perdikis2)の論文にも当時の治療風景を想像した絵が掲載されている.電気発生魚の存在は,紀元前2~3世紀にさかのぼるエジプトの壁画に残されていることからみても.古くから知られていたようである.
このような経験に発した治療は,後世,科学的な近代医療へと道を拓くことが多い.18世紀に電気が発見され,ライデン瓶が発明されると,静電気を使った治療が英国のJohn Wesleyらによって開発されたが,静電気では治療効果はあがらなかった.1789年から1800年にかけて,GalvaniやVoltaが電池を発明し,電流を持続的に流すことが可能になってから,電気刺激による痛みの治療法が当時の流行ともなってきた.電気刺激治療の草分け的な古典として,フランスのDuchenne de Boulogne3)は,電気刺激の生理学,病理学,ならびに治療への応用と題する論文を1855年にパリで発表している.19世紀後半から20世紀前半にかけては英国のBird,Althausら,米国ではFrancis,Garrattらが,各種の電気刺激治療器を開発している.当時,もっとも広く用いられたのは歯科の領域で,抜糸や歯の治療の際に応用されていた.その他の領域でも,各種の神経痛や筋肉痛,腰痛,さらにリューマチや痛風による痛みの治療にも用いられている.以上のような歴史的背景でみる限り,20世紀中葉までの電気刺激治療は,経験に基づいた治療法であったといえる.現代的な治療法は今世紀の中頃より著しく発達してきた痛みの発生機構に関する電気生理学的研究の発展とともに進歩してきた.
痛みの電気刺激による治療法の有効性を説明する理論的根拠を与えることになった最初の重要な説は,MelzackとWallが1965年に提唱した関門制御理論(gate control theory)4)である.痛みが脳に伝わって,感覚として受けとられるには,末梢の痛みの刺激を脳に直接伝える刺激伝達系と,この痛みの感覚を抑制する刺激抑制系の2系統の伝達調節機構があり,生体防御機構の一つとして,生体に必要な痛み刺激は伝えるが,不必要な過度の刺激は抑制して打ち消しているとする考え方である.すなわち,痛みの感覚は生体防御に大切な感覚ではあるが,すべての刺激を警告反応として脳がとらえるならば,人は痛みに耐えられなくなるであろう.そこで生体は痛みの伝達系と抑制系を巧みに組み合わせて,生きるために適切な感覚だけを巧みに作り出す機構を備えているという考え方である.このような理論を証明するために一つの電気回路を発表している.すなわち,痛みの刺激は細い神経線維(S)から入力され,脊髄の後角にあるT細胞によって中継されて中枢に達する.この伝達を抑制する神経群は,脊髄後角の膠様質(substancia gelatinosa; SG)の部位で,太い神経線維(L)からの入力によって活性化されるとともに,細い線維からの入力による痛み刺激の電流が抑えられる.したがって,太い神経線維Lだけを電気刺激すれば,SGの活動が盛んになって痛みが和らげられるという説である,このMelzackとWallの痛みの統御機構に関する仮説は,きわめて画期的な説であったが,実際の生体内の神経機構は,このモデルほど簡単ではなく,SGとTとの間に脊髄後角第4層細胞群が入るなど,多くの介在ニューロン存在の可能性が指摘されるとともに,上位脳から脊髄後角へ下行する神経経路の抑制系の働きが加えられたり,多数の修正,発展が進んでいる5).
しかし,電気刺激による除痛効果の中には,このような神経経路モデルだけでは説明がつかないさまざまな現象がある.例えば,電気刺激の開始から除痛効果が現れるまでに数分を要したり,刺激を停止しても除痛効果が何時間も持続する場合が多い.このような現象は,なんらかの化学的現象が起きている可能性を示唆している.この中で,初期に注目されたのはGoldsteinら6)の研究を緒とする神経組織中のendorphineやenkepharinなどopioid peptidesに関する一連の研究である.モルヒネは体内には存在しない物質であるが,これと化学構造が類似したenkepharinやβ-endorphineが,脳の痛みを認知する部位に存在して,強い鎮痛作用を持っていると考えられている.事実,モルヒネの鎮痛作用を阻害するnaloxaneを投与しておくと,電気刺激による除痛効果が減弱することもわかってきた.したがって,電気刺激によって脳のある神経細胞群から,これらのopioid様物質が遊離して,痛みの伝達と認知機構が抑制されるのではないかと考えられるようになってきている.
Gate control theoryが発表されると間もなく,電気刺激による痛みの治療法は,新しい視点から再び医療に応用される道が拓けてきた.1965年にマサチューセッツ総合病院脳神経外科のSweetはWepsicと共同して,末梢神経に針電極を挿入して電気刺激を行う除痛法を発表した7).またShealyら8,9),脊髄後索に電極を接着して電気刺激を行って除痛する方法を報告した.Nasholdら10)は,慢性疼痛を訴える30例の患者に同じような脊髄後索表面への電極装着による電気刺激治療を行い,中枢神経障害に起因する痛みには有効であるが,慢性の関節痛,骨の痛みや椎間板ヘルニアに起因する痛みには効果が低いと報告している.しかし,このような脊髄後索を刺激目標として電気治療を行う方法は,椎弓切除のような大がかりな手術を必要とするので,一般的な治療としては普及せず,より簡便な治療方法として,経皮的に電極を脊髄硬膜内,外に挿入する方法が考案されてきた.一方,痛み受容機構の脳内の働きについての研究も進められ,中脳水道周辺の灰白質部に痛みを統御する神経細胞核群が存在することが推定されて,Hosobuchiら11)は1981年に定位的脳手術の手法を用い,細い電極をこの部位に挿入して電気刺激する治療法を開発して報告した.本法は特殊な脳神経外科的手術技術を必要とするため,限られた専門施設で治療が行われているのが現状である.
現在,電気刺激による痛みの治療法として普及している方法には,脊髄後索を硬膜から電気刺激する方法(spinal cord stimulation: SCS,またはdorsal column stimulation: DCS)12~15)と経皮的末梢神経電気刺激による除痛法(transcutaneous electrical nervestimulation: TENS)16,17)がある.
痛みの治療は,医療の中でも最も基本的な治療の一つであるが,痛みは多分に不安や恐怖のような大脳高次機能に左右される感覚である.したがって,痛みの治療を行うに際しては,治療手段ができる限り非侵襲的であることが望ましい.この点で,経皮的電気刺激による除痛法は,危険性,副作用や治療の不安感がなく理想的な治療法であるが,その反面,除痛がやや不確実で,強い痛みを完全に除去するのが難しい点が欠点にもなっている.しかし,この方法は慢性の筋肉痛や神経痛などの痛みの治療には,簡便で,どこでも治療ができ,しかも患者の満足度がかなり高いことから広く普及している.各種の疾患により,リハビリテーションを行っている患者に対して,その治療中の筋肉運動などに伴う痛みの軽減には,応用する価値のある治療法と考えられる.
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