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はじめに
今日の神経心理学で最も脚光を浴びているのは病巣局在であろう.X線CTやポジトロンCT,磁気共鳴像などの画像診断法が次々に開発されたことによって,生体における病巣局在の精度が格段に改善された結果,臨床症状と病巣との精密な対応が可能となり,各種の臨床症状の発現機序の解明,ひいては脳の高次機能のメカニズムの解明に,大きな期待が寄せられている.
しかし脳の機構は,単に臨床症状と病巣とを対応づければ解明されるといった単純なものではない.その点は,言語機能におけるBroca中枢の役割という,100年を越える失語症研究の歴史を通じての最も重要な問題の一つが,未だに未解決のまま論争の的となっている事実が明確に物語っている1~7).Sarkisov8)は,細胞構築からみたBroca中枢の範囲にはかなりの個体差があることを指摘しているが,臨床研究から脳の機構を論ずるにあたっては,こうした脳の構造自体の個体差はもとより,言語をはじめとする高次機能の半球側性化の性差や個体差,高次機能の習得の程度や習得過程の個体差など,さまざまな要因を考慮しなければならないのである.画像診断法が精密化されても,それによって明らかにされるのは個々の症例の病巣局在までであって,それは脳の機構を論ずる手がかりの一つにすぎない,とみるべきである.ここで重要なのは,動物研究も含めた脳に関するさまざまな研究の成果を幅広く取り入れて,脳の基本的な生理過程がどのようなものなのかを明確にし,臨床研究の成果もその中に位置づけていくことである.
失語の古典論として今日でも失語研究の中で重要な位置を占めているWernickeの失語理論9)は,Meynertの神経解剖学をはじめとする当時の脳研究の成果を取り入れて構成された言語の神経機構に関する図式に基づくものであり,Wernickeにとって失語症は,現実の症例が示す臨床症状よりも,理論上こうであるはずだ,といった性格の強いものであった.以降再三の批判にもかかわらずWernickeの理論が生き続けたのは,批判が臨床症状の面に集中し,理論,図式自体を否定してそれに代る新しい理論を立てるまでには至らなかったためとみることができる.むしろその後の基礎的な脳研究は,皮質の部位間の線維結合から言語などの高次機能を説明するWernickeの立場を支持する方向に動いており,それは1965年の,Geschwindによる離断症候群disconnexion syndromeの概念としてのWernickeの理論の再興10),というかたちで具体化されている.
脳の機構,図式からの臨床症状へのアプローチは,特定の機能のみが選択的に障害されている純粋型症例を重視することになり,常に複雑な臨床像を持つ実際の症例と合致しない,との批判は再三繰返されており,ましてリハビリテーションの分野では,動物実験を中心とした基礎的な脳研究に基づく図式などは,一向に役に立たない,とみられることが多い.しかし理論,図式が適切であれば,それに基づいて複雑な臨床症状を解きほぐし,リハビリテーションのための有効な手段を見出すことも期待できるであろう.本稿ではこうした観点から,図式がリハビリテーションに有効な示唆を与えている一つの例として,半側空間無視を取り上げることにしたい.
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