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はじめに
椎間板の病理学に関する研究はDresdenのSchmorlが1927年に詳しい報告をしてから飛躍的に進歩したといえる.Schmorlの結節として現在も名前が残っているわけであるが,椎間板ヘルニアという腰痛疾患の代表的なものについてはGoldthwait,MiddletonそしてTeacherらの研究が大きな功績であった.
1911年にBostonのGoldthwaitとGlasgowのMiddleton,Teacherは脊柱管の中へ椎間板が突出,つまり後方へ辷り出た症例をそれぞれ独立的に報告したが症状はいずれも脊髄腫瘍の馬尾神経圧迫症状に似ていた.新しい文献が出るときまって古い文献が洗い直されるの例えどおり,椎間板の突出についても調べ直されてみたらVirchowやKocherもすでに死体については触れていることが分ったといわれている.
坐骨神経痛と腰痛をおこす本疾患が椎間板由来のものではないかとGoldthwaitが指摘したにも拘らず,Adsonテストで有名なかのAdsonが軟骨の硬膜外腫瘍extradural ventral chondroma,enchondroma ventraleとして1925年に発表したためこの考えはElsberg,Stookeyと引き継がれて来たのである.1934年のJournal of Bone & Joint Surgeryに発表された椎間板の疾患についてのBarrとMixterの報告は病態生理を一挙に解明するものとして輝かしいものであった.
かくて椎間板ヘルニアの症例がMassachusetts General Hospitalから53例報告され1940年にはArchives of Surgeryで誌上シンポジウムが開かれることとなった.それ以後Spurlingらの優れた仕事も加わり,椎間板ヘルニアの名前は定着し,世界的に診断および治療が活発に行われるようになった.
手術療法も一時期は熱狂的に受け入れられ,何でもかんでも手術と考えられた時期もあったが,椎間板ヘルニアの最初の優れたreviewが出されたのと同じMassachusetts General Hospitalから手術療法の合併症として種々の重篤なものが報告されるに及んで反省期に入り適応の選択もより厳しくなって来た.
MixterとBarrの論文“Rupture of the intervertebral disc with involvement of the spinal canal”は現在でも一読の価値は十分あるがMixerがすでに脳神経外科医のattendingでBarrが整形外科外来担当医(33歳)であって共同研究したというのが興味深いものがある.以下椎間板ヘルニアの治療について最近の動向を記述したい(図1,2).
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