<身体障害者福祉法制定25周年にあたって>
身体障害者福祉法制定当時の想い出―等級表を中心に
児玉 俊夫
1
1岡山大学整形外科
pp.670
発行日 1974年9月10日
Published Date 1974/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552103199
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私が東大に復帰したのは昭和24年5月だが,早速高木先生のお呼び出しを受けて身体障害者福阯法の制定業務を手伝うようになった.この法律はその前年より構想が練られ,私が参加した頃はすでにその大綱はできあがっていた.後から伺うと,その間にかなりの曲折,特に総司令部との折衝と傷痍軍人団体の了解,それに続いて国民感情に苦労があったようである.この委員会は昭和23年3月23日に「傷痍者保護対策中央委員会」として発足したのだが,傷痍者が身体障害者となり,保護対策を単に福祉とし,その更生に主眼をおき,障害に対する補償ではないとした点が決められていたのだった.
この委員会の事実上の委員長は高木先生で,厚生省側は新設された更生課に松本征二氏が課長で,佐野利三氏が課長補佐で,私はその更生課に机をあてがわれ,高木先生の秘書,連絡係りとなった.先にも述べたごとく,昭和24年5月には同法の大綱はすでに決められており,等級表の作成が私の主任務だった.
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