Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
尾崎紅葉の『生死論』―障害受容文学の系譜
高橋 正雄
1
1筑波大学障害科学系
pp.402
発行日 2011年4月10日
Published Date 2011/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552102047
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明治36年7月に尾崎紅葉が書いた『生死論』は,胃癌による死の宣告を受けた紅葉が,自らの死を受容する心境を述べた作品である.漱石や露伴と同じ慶応3年生まれの紅葉は,明治36年10月30日,37歳という若さで亡くなるが,『生死論』は,病による死を3か月余り後に控えた紅葉が,一種の極限状態のなかで書いた障害受容文学なのである.
『生死論』は冒頭,「死は憎むべき者なるか」という問いかけで始まる.「不治の疾にかかりて死は面前に来横れり」と自覚していた紅葉は,「死なる問題を思うや切なり」という心理状態にあったのである.
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